中東の3Pの一つ、イランのペルセポリス(タフテ・ジャムシード)を紹介!
サラーム!(ペルシャ語でこんにちは)
新型コロナウィルスが流行し、一気に世に「3密」という言葉が溢れるようになりました。
たびはれの住んでいる地域は基本ソーシャルディスタンスな田舎なので、あまり身近でない「3密」なのですが、大きなお祭りやイベントなどは、こんな田舎にこんなに人がくるの?!というくらい例年たくさんの人がいたので、今年はことごとく中止となっています。
残念ですが、仕方ないですね。
浴衣を着る機会は今年はなさそうです。
さて、「3密」ならぬ中東の「3P」をご存知でしょうか。
ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡、そしてイランのペルセポリスです。
以前にペトラ遺跡については書きましたが、今回は2つ目、ペルセポリスをご紹介したいと思います。
イランの中でも有数の観光地となっている壮大なかつての都の遺跡。
その壮大さを写真と共にご覧ください!!
目次
ペルセポリスってどこにあるの?
ペルセポリスは、イランのバラと詩で有名な街、シーラーズの北約57キロの場所にあります。
ペルセポリスの遺跡周辺には何もないので、基本的にはシーラーズに宿泊し、シーラーズから日帰りで観光することになります。
シーラーズにも見所は沢山あるので、シーラーズ観光も含めた旅程を組めるとよりよいですね。
アクセス方法
シーラーズからはバスかタクシーでのアクセスとなります。
所要時間は片道約1時間。
個人旅行で行かれる場合、バスはちょっと難易度が高いので、タクシーをホテルで手配してもらうのが安心です。
また、現地の旅行会社か日本で事前に日帰りツアーを予約し参加するのもおすすめです。
また、ペルセポリス以外にも周辺には、王の墓であるナグシェ・ロスタムやナグシェ・ラジャブ、キュロス2世の墓や宮殿跡のパサルガダエなどがあります。
ナグシェ・ラジャブやナグシェ・ロスタムはペルセポリスと一緒に観光できる距離にありますが、パサルガダエは結構離れているので、単体での観光となります。
ペルセポリス全体図
左上にある入り口のもう少し手前に、バスやタクシーがとまる駐車場があります。
駐車場の近くにはちょっとしたお土産屋さんもあります。
トイレも駐車場近辺か、中に入ったら博物館内にあります。
ペルセポリスの歴史
ペルセポリスは、ペルシャ語で「タフテ・ジャムシード」と言いますが、タフテ=玉座、ジャムシード=ペルシャの伝説上の王様の名前で、ジャムシード王の玉座、という意味があります。
ペルセポリスが造り始められたのは、アケメネス朝ペルシャの時代、紀元前512年ころです。
その頃の王様はダレイオス1世。
そしてその孫のアルタクセルクセス1世によって完成されました。
完成までにおよそ100年!!ダレイオスさん、見たかったでしょうね・・。
当時都の広さはなんと125,000平方メートルあったそうです。
当時の行政の中心はシューシュという町でしたが、宗教的な街としてペルセポリスは造られ、大事な儀式はすべてここで行われていたそうです。
その後、紀元前331年、アレクサンダー大王によって崩壊してしまいました。
ペルセポリスの見どころ
それではペルセポリスの内部、ここは絶対見て!という場所を中心にご紹介したいと思います。
見どころ①クセルクセス門(万国の門)
入り口は行って大階段を上った先にある堂々たる門!
ペルセポリスの正門にあたり、東と南、西にゲートを持ち、門と同時に控えの間としての役割もあったそうです。
現在は南側のゲートは残っておらず、東側と西側は見ることができます。
東側には有翼人面獣神像、西側には無翼人面獣神像があります。
見どころ②双頭鷲像
クセルクセス門を東側に通り抜けると儀仗兵の通路が伸びており、その通路の奥に双頭鷲像はあります。
これは幸福を意味する伝説の鳥(ホマ)だそう。
イラン航空の飛行機に乗ったことがある方は、あれ?と思うかもしれません。
イラン航空のマークのモチーフはこの双頭鷲像だそうです!
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見どころ③百柱の間
百柱の間という名前からわかる通り、かつては100本の柱があった場所です。
アレクサンダー大王が攻めてきた時に出火した場所でもあります。
そのためほとんどが崩壊してしまっている状態。
謁見の間であり、家臣との会議等にも使われていたと言われています。
見どころ④アパダーナ(謁見の間)
こちらは百柱の間には残っていない柱が12本残っています。
かつては36本あったそうです。
高さは20m、さらに当時はレバノン杉でできた屋根があったというから驚きです。
想像しただけでめまいがするくらいの大きさですよね。
東西南北にそれぞれ入り口があったとされていて、東側にはレリーフが施された美しい階段が残っています。
それにしても細かい!
このレリーフからも王がどれだけ権力を持っていたのか、どれだけの人がここを訪れ、様々なものを捧げたのかわかります。
アルメニアからは馬、レバノンからは金の腕輪、バビロニアからは牛、インドからはスパイス、エチオピアからは象牙、などが献上されたそうです。
見どころ⑤タチャル(ダレイオス1世の冬の宮殿)
アパダーナの南側にあるダレイオス1世の宮殿で、タチャル=冬の宮殿という意味があります。
今は残っていませんが、かつては宝石が埋め込まれていたそうです。
他の場所に比べて小規模でありながら、豪勢な空間であったと考えられます。
見どころ⑥博物館
元々はダレイオス1世の王妃の住居があった場所に建てられた博物館です。
ペルセポリスから出土した物が展示されています。
売店にはペルセポリス関連の物やちょっとしたお土産も売られています。
暑いときに観光に来た方はここで休憩しましょう!
見どころ⑦アルタクセルクセス2世の墓
ペルセポリスの背後にあるラフマト山の岩肌にあるアルタクセルクセス2世のお墓です。
ここにも精巧なレリーフが残っています。
高さ12メートルの高台にあるのでペルセポリスの全景をみることができます。
広いペルセポリス見学で疲れていても、すこーし頑張って登りましょう!!
見どころ⑧ 様々な場所に残るレリーフ
↑↑牡牛と戦う王のレリーフ。王の力と勝利の象徴。
↑↑王とその家臣のレリーフ
↑↑王座かつぎのレリーフ 王はダレイオス1世、後ろにいるのはクセルクセス1世
↑↑王様の頭上にはゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダを表す「翼ある日輪」
↑↑王とその家臣、使者との謁見の際のレリーフ?と思われます。
ペルセポリスの至る所にこういった王の権力がわかるレリーフが彫られていました。
今なお残っているものからもその権力が想像できるほどですね。
当時の姿は本当にすごかったんだろうな、と思います。
想像つかないくらい大きかったんでしょうね。
それを紀元前に人が作っていた、ということも驚きです。
中東の3Pの一つ、イランのペルセポリス(タフテ・ジャムシード)を紹介!のまとめ
中東の3Pの一つ、ペルセポリスをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
ペルセポリスは個人旅行も仕事も含め数回おとずれましたが、毎回入り口で「こんなに大きかったっけ!?」と思うくらい広く、そして残っている門や支柱などの存在感がすごい場所です。
遺跡というと場所によっては本当に「跡」しかないところもありますが(個人的に思うのはタジキスタンのペンジケントとか・・・)、その面影を全部とは言わずとも想像ができる範囲に残っている素晴らしい遺跡だとたびはれは思います。
当時の様子をこの目でみたかったーと思える場所でした。
ダレイオス、すごい人だったんだな。
そしてここを陥落させたアレクサンダー大王は、本当にすごい力を持っていたのだな。
なんて漠然と思ったり。
ペルセポリスは全体に見どころが点在していますし、広いですし、あまり日陰がないので暑いです。
でも、古代の都のロマンを感じられる場所です!
中東の3P!是非制覇してみてください!!
(コロナ収束後でね!)
本日もお読みいただき、モタシャッケラム!(ペルシャ語でありがとう)
↓↓過去に書いたイランの記事です。
↓↓たびはれお気に入りの本です。